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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■青年エウティコ
エルサレムへの旅の途中、パウロたちはトロアスに滞在しました。出発の前日は日曜日、彼らはパン裂きを行うために集まりました。つまり聖餐を行い、主の死と復活を記念して礼拝するために集まった。そこにはトロアス在住のキリスト者たちもいました。当時、日曜日は休日ではありません。キリスト者たちは、日中は働いて夕べに集まり、パン裂きを行った。イエスが、自らを献げて世の罪の贖いとなって下さったということ、そのイエスが日曜日に復活し、今日も我々の主として只中におられること、我々の歩みを終わりまで導いておられる、その恵みを確かめ合ったのでした。
パウロは人々に説教を語り始めました。その話はいつまで経っても終わらず、ついには真夜中になってしまったのです。青年エウティコは仕事を終え疲れた体でも、大切なパン裂きのために、またパウロの説教を聞くために集まりました。部屋は満員だったのでしょう、若い彼は窓に腰かけてパウロの話を聞きました。もし、最初から居眠りするつもりだったら、そんな危険な所には座らなかったはずです。彼は誰よりも集中して聴いていたのです。しかし、疲れのためか睡魔に襲われ、ついに三階の窓から転落し、打ちどころも悪かったのでしょう、そのまま亡くなってしまったのです。

■死の定め
人の死は、このように突然にして訪れることがあります。ついさっきまで、あんなに元気だったあの人が、ちょっと前まで談笑していた人が、次の瞬間亡くなってしまう。人々は、生と死がこんなにも近く接し合っているのだという事実を目の当たりにしました。私たちは誰でも、「人は皆、やがては死ぬもの」とは分かっておりますが、まさに今この瞬間に、自分にあの人に死が訪れるなどと思うはずもなく生きているものです。例えばおいしい食事を楽しんでいる最中に、「あ、いま死ぬかもしれない」と思いながら食べる人はそういないでしょう。礼拝で睡魔に襲われながら、命が掛かっているという危機感を抱く人はそういないでしょう。けれども、「死なないということ」を保証することは誰にもできないのです。
突然の死を前に、そんなことあるはずがない、あってはならないこと、全くの不条理と考えますが、自然の条理から言えば、死は当然の出来事と言わねばならないのです。たとえ、私たちが死を忘れていようとも、死はわたしたちのことを片時も忘れることはない。死は、絶えず私たちの内に働いているものです。

■彼は生きている
エウティコは、礼拝の最中に転落して亡くなった。当然、人々はパニックになりました。ところが、パウロは、彼の上にかがみ、抱きかかえると言ったのです。「騒ぐな、まだ生きている」。そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、明け方まで長い間話し続けてから出発したというのです。
「騒ぐな、まだ生きている」。エウティコはただ気を失っていただけではなく、即死だったのです。しかし、パウロは死の現実を前にしながらも、「彼は生きている」と告げて、上に上がりまた礼拝を続け、パン裂きと説教を行った。ここに示されているのは、この場は死と絶望に支配されることはなかったということです。死がこの場を全く覆ってしまったのではありませんでした。むしろ、パウロが彼の上にかがみ、抱きかかえたという姿に、神の愛が死を覆っているのだという真理が示されたのです。

■礼拝によって
また礼拝が続けられました。それは何事もなかったかのように振舞ったというのではなく、この時にこそ、パン裂きをせずにおれなかったと言った方が良いでしょう。
私たちはキリストの死と復活の命に与っている!私たちにはキリストの命が宿っている!死という絶対的な現実をも超える神の愛が宿っている!彼らは、目に見えるパンを味わいながら、神の愛という尽きることのない糧を味わい、分かち合ったのです。
わたしたちは皆死ぬ、そして、その時を誰も知りません。もしかすると、共に守る礼拝が今日で最後かもしれない、というのは決して大袈裟な話しではありません。しかし、わたしたちはすっかり死に振り回され、死に怯え、死を悔み、あるいは諦め途方に暮れる者として生きているのではありません。死も、キリストによって示された神の愛には打ち勝たず、かえって死が空しくされるということ、その希望と慰めを私たちは礼拝の度に確かめながら、心に夜明けを迎え、立ち上がって歩み出していくのです。これほどまでに愛された私であることを感謝して、どんな富が積まれるよりも豊かな恵みを頂いた者として、この地上に生かされている命を献げ、用いて頂くものでありたいと願います。

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