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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■にんげんをかえせ
原爆詩集を著した峠三吉の没後70年という節目にあたり、平和記念公園内の彼の石碑の前で慰霊祭が行われ、詩が朗読されました。
 「ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
 わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
 にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを へいわをかえせ」
『死んだ人を返せ』ではなく、『にんげんをかえせ』というのは、人間性を奪う一切のことを許さない、人間性を取り戻さなければならない、という意味だと峠三吉の息子さんが語っています。人間が人間であることの尊厳すら奪った原爆の、そして戦争というものの愚かさを猛烈に訴えているのです。「返せ、返せ」、二度と取り戻せない者たちの尊さを思う叫びは、二度どころか絶え間なく繰り返される戦争の愚かさを嘆いているようでもあります。

■愛における不自由
追いはぎに襲われたユダヤ人を介抱のは、宗教的・人種的に長く敵対してきたサマリア人であったという話。同胞のユダヤ人たちが様々な理由でもって傷ついた人の脇を通り過ぎる反面、隣人とはなり得ないはずのサマリア人がこの人のことを助けた。ユダヤ人かサマリア人か、敵か味方か、正義か悪か、人間が簡単に陥ってしまう二元論を超えて彼は一人の「人間」を助けようとしたのでした。
主イエスからこの話を聞かされた律法学者とは、必ずしも自分のことしか考えていないような独善的で傲慢な人間ではないように思います。私たちもまた「神を愛し、隣人を愛する」ことは大切だと分かっているし、そうありたいと日頃から追い求めています。けれども、どうしても愛するということにおいて不自由で、頑なで、臆病な自分がいるのです。
「わたしの隣人とは誰ですか」(29節)。律法学者は「自分を正当化しようとして」そう言ったのだと批判的に記しています。でも、自分自身に置き換えて読む時に、ただ単なる自己正当化ではないように思えます。この人はここで、「わたしの隣人とは誰か」と自らに問う時、「果たして自分はこれまで本当に、誰かの悲しみに寄り添って生きてきただろうか、本当に喜びを共にしたことがあっただろうか」とこれまでの自分のありようを根本的に問われたと思うのです。「皆が隣人であり、皆が隣人でない」かのような、自分が傷つかない程度の取り繕った関わりに留めてきたのではないか、わたしの隣人とは誰なのか、わたしは本当に隣人となりうるのか。二元論の迷宮をぐるぐると彷徨う彼に、私たち自身の姿を見るのではないでしょうか。

■隣人キリスト
良きサマリア人の話は、「この人はユダヤ人かサマリア人か、敵か味方か、同胞か否か」という二元論の障壁を超え、この人もまた人間であるという一点に光を当てています。「隣人」「隣り」という言葉は、自分との「近さ」を表わしています。しかしただ隣り、近くという意味ではなく、「この人も自分と同じ一人の人間であるのだ」「この人もまた神に造られ、神によって生かされている尊い存在なのだ」という気付きを含んでいます。そして、主イエスは、「行ってあなたも同じようにしなさい」と私たちに告げるのです。平和は「待つ」ものではなく、「行く」ものなのです。ここで気付かされるのは、この話をされたイエス・キリスト、この方こそ待つのではなく、隔てを越えてこの世へとやって来られた方です。神であることに固執しようとはせず、一人の人間として世に生まれた方、隣人となってくださった方です。
「このような人など愛さなくて良いのだ」という諦めと自己正当化にすぐに逃げてしまうこの世に、「この人ならば愛せる」と人を選別する隔てだらけの世に、イエス・キリストは人間として来られました。そして、ご自分に敵対するものをも敵とみなさず、ご自身と同じ愛すべき人間として見出し、十字架においてその身を捧げられました。イエス・キリストこそが隔てを越えて私たちの隣人となられました。わたしたちを愛すべき存在として見出して下さった。そこにわたしたちは、すべての人間の主によって取り戻された尊さを見出すのです。
聖餐のパンと杯、それはキリストが一人の人間となられたことということの証しであり、隔てを越えて人となられたキリストにこそ平和が実現されているということを証しであります。そして、今日ここからわたしたちが、キリストが内に宿って下さっている者として、隣人となる歩みを踏み出していくための糧なのです。

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