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野球の試合というのは、普通グラウンドと呼ばれるところで行ないます。球場自体は「すり鉢状」になっていて、観客が客席から試合を見下ろすような形になります。「ダッグアウト」(「待避壕」)とは、監督やコーチ、試合に出ていない控えの選手たちが、その場所で試合を見ています。通常、特にプロ野球が行われるような球場では、グラウンドよりも地面よりも少し低くつくられています。

「ダッグアウト」は野球用語になっていますが、厳密な意味での英語としては「Dig out」(掘り出す、捜し出す、探求する、調べ出す)の過去形が「Dug out」です。

今日の聖書の7節に「わたしの耳を開いてくださいました」とあります。この「耳を開く」というところに、ある英語の聖書は「ダッグアウト」という英語を使っています。つまり、「耳を開く」とは、「耳の中につまっているものを掘り出す」、もう少し言うと「かたくななものを掘り出す」というような意味になってきます。

幼稚園というところにかかわっていて、子どもたちと接していますと、本当にいろいろなことに気づかされます。

昨年(2022年3月)、K君という男の子が千歳幼稚園を卒園しました。運動会前の三週間、K君は両足のアキレス腱の手術をし、両足とも膝から下がギプスで固定されていました。わたしは「K君、運動会は当然見学だろう」と思っていました。運動会のプログラム、かけっこのところにK君の名前はありませんでした。しかし、K君は「走る!」と言うのです。K君は走りました。ぶっちぎりでビリでした。でも、不思議なことが起こりました。運動会を見に来ているお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして幼稚園の子どもたち、子どもたちの弟や妹。みんな、ぶっちぎりでビリのK君を、大きな声で拍手で応援しました。K君はK君の精一杯の速さで走り抜きました。

翌週、年長さんは円山動物園に行きました。K君と園長を乗せて、わたしが車で送り届けました。他の園児は千歳から、電車と徒歩で動物園に向かいます。車の中でわたしはK君にこう声をかけました。「運動会のかけっこ、がんばったね。速かったよ!」。するとK君「別に速くないよ」。K君は自分の走りに自分のスピードに満足していませんでした。動物園には上り坂もあれば、階段もあります。当然ですが、K君の歩く速さは他の子どもたちよりも数倍遅いです。また、不思議なことが起こりました。K君の回りに数名の子どもが寄り添い、K君のかばんを持つ者、腕をかかえてサポートしようとする者、K君を中心にして輪ができ、輪が移動していきました。「別に速くないよ」、ちょっと冷めたK君ですが、徐々に笑顔になりました。

わたしはその光景をみて、「子どもたちは立派に育っている」と感じました。幼稚園というところで「心が立派に育っている」と感じました。と同時に、約60年間生きてきた、ひとりのおとなとして、目の前の子どもたちから、多くのことを学びました。

わたしたち、おとなには「教え込まれているもの」「信じて疑わないもの」「思い込み」があるように思います。あるいは、「見栄」「体裁」「話の筋」「駆け引き」などがありませんか。しかも、それらが仕事や様々な役割と共に、やってきます。そういう意味で、子どもの目・視点・とらえ方・接し方はとても純粋で、わたしたち、おとなが逆におしえられることが多いように思います。

「教会というところは敷居が高い」とよく言われます。長く教会生活を続けられている方にとっては、他人事ではないと思います。いろいろな要因があると思いますが、その中のひとつに、教会というところは、伝統的にある意味の「線引き」を容認してきた歴史があるように思います。「線引き」…たとえば、洗礼を受けている・受けていない。おとなか、子どもか。男性か・女性か。既婚か・未婚か。教会というところを組織的に運営するためには、その規模が大きくなればなるほど、そのような「線引き」をして、小グループでの活動が求められてくることも当然なのかもしれません。しかし、わたしたちが見落としてはならないことは、小グループに含まれない方が出てくることに注意を払う必要があると思います。

教会は「心のダッグアウト」となっているでしょうか。少し低いところで、一般社会よりももっと低い視点で、社会の情勢や出来事を見つめつつ、歩みを進めているでしょうか。

それらを検証するためには、まず何よりも、わたしたちひとりひとりの中に、すでに詰まっているものを取り除く・掘り出すことから始めたいと願っています。そして、様々な活動を通して、新しいメンバーを捜し出すことにつなげていくことが求められているのではないでしょうか。

教会と幼稚園、そして地区、教区。いま私たちに与えられている様々な出会いに感謝すると共に、人と人との出会いの意味をかみしめる時としたいと願っています。

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