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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■4年ぶりのバザー
4年ぶりの教会バザー、「収穫感謝」という位置づけも意識して準備されました。収穫の実りが与えられているということ、それは私たちが神様によって養われているものであるということです。更に言えば、そうして神様がそうして食べ物によって、またみ言葉によって私たちを養い、御業のために用いられるのだということではないでしょうか。おいしいものを頂いて舌鼓を打つというだけではなくて、これによって私たち自身が神様に用いられる実りとされることを覚えたいと思います。
「あなたがたは神の畑です」という言葉がありました。ここは、神様が生きて働いて私たちを育ててくださる畑、神の働かれる現場です。バザー、これから始まるクリスマスの諸集会もそうです。わたしたちがそれを計画し行っているというのではなく、すべてはわたしたちを畑として働かれる神様の業であるということ、そのためにわたしたちは互いに力を献げていくのです。

■成長
知識や力が増し、判断力や経済力が増す、そのように大きくなっていくことを一般的には「成長」というのかもしれませんが、信仰者・キリスト者としての成長は、むしろ逆で余計なものが削ぎ落されて、それこそ何度も申していますように「からしだね一粒」になっていくことです。自分自身については無力で小さく貧しくなっていく、だからこそ、すべてが神の御業、すべてが神の恵みの内にあることがより鮮やかに分かってくるし、また自分を神にささげ用いて頂こうとされていくのです。しかし、その点でコリント教会の人々は、自分の正しさ、大きさにこだわって、それゆえに違いばかりに囚われて、対立しあっていました。そのことで、パウロは「あなたたちは相変わらずただの人だ」というのです。
パウロは、コリントの信徒たちにあなたたちは「ただの人ではないはずだ」ということを気付かせたいがためにそう言っているのです。神から「ただならぬ恵み」を頂いていること、イエス・キリストという限りなく高価な恵みゆえに「ただものではない」はずだと。

■すべては主の働き
アポロもパウロも主によって用いられた者です。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。」(6節)
しかし、コリント教会はいわば「わたしは植えることが好きだ」、「わたしは注ぐことが好きだ」、「さぁどっちが素晴らしい働きか」という対立が生じていたようなものです。でも、神が成長させて下さるのでなければ、あなたがたがどんなに自分の業について誇り、熱弁したところで、それになんの意味があろうか、それでどうして実りが得られるだろうかと言うのです。アポロもパウロも、神がその御業のために用いた器。それぞれの働きを担ったけれども、すべて神様の働きだというのです。
この視点が教会にはいつも欠かせません。12章には「多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」とあります
「都合が悪いな、あの人がいるといつも面倒なことになるな、トラブルメーカーだな」、そういうことってあるでしょう。あの人さえいなければもっとスムーズに、自分の思う方向へ物事が進められるのに。しかし、教会はそういう排除の論理、経営の論理ではない、神の御業の論理を見つめるのです。そういう意味では最も面倒くさい組織でしょうし、そのために互いにエネルギーも要する。傷つき疲弊することもある。でもまさにそこでこそ見つめるべき一点に互いに立ち返っていくことが必要なのです。

■神の畑として
先日発行された北光通信「ほっ」で、教会創立127年を覚えて、皆のひと言が集められましたが、その中で、ある方が「127」という数に注目して、詩編127の言葉を記しておられました。「主ご自身が建ててくださるのでなければ家を建てる人の労苦は空しい」。
教会バザーは、会堂改修事業の一環として行われています。ある方がこういう冗談を言いました。「北光教会は北海教区のサグラダファミリアですね」。要するに「いつまで経っても終わらない」ということと言っている。10年で終わらなかった改修事業、では20年で終わるでしょうか。もしこれを人間の思い、人間の計算だけで進めようとすれば終わらないでしょう。「その労苦は空しい」と言われるでしょう。これは主ご自身の働き。「主ご自身が建てて下さる」、「しかし、成長させてくださったのは神です」、このことを信じてわたしたちは一つの畑として用いられていくのです(私たちはそれぞれが個別に区切られた植木鉢やプランターではありません)。その交わりを確かめ合いましょう。

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