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今日の聖書箇所には、占星術の学者たちが、星を見つけて旅する姿と新しい王がお生まれになったと聞いて不安を抱くへロデの姿が対照的に描かれています。

クリスマスの物語は、マリアへの受胎告知から始まり、「まさか!」の連続でしたが、主イエスが生まれた後も、そのまさか!は続きます。本当に悲しい悲惨な出来事、ヘロデによる幼児虐殺の記事が記されています。クリスマスの出来事の中に、人間の不条理、不信、悲しみ、憤り、様々なものが詰め込まれているのではないでしょうか。

そんなまさか!の出来事の中で、ヨセフは、3回も夢を見ます。どれも幸せに満ちた安心した眠りの中で見たものではありませんでした。自分の知らないところで身ごもったマリアに対し、不安や不信でさいなまれ、眠れない夜を何日も過ごし、体も心も限界、というところで、うつらうつらしていた、そのような状況だったことでしょう。また、長旅で疲れているところにマリアのお産が重なり、しかも出産できる場がなく、寒くて暗い馬小屋で、異例の、初めてのことだらけ。疲労困憊。体をゆっくり休めるどころか、産後のマリアや赤ちゃんイエスのことを気にかけながら、座ったままウトウト。3回目の夢のときも、見ず知らずの土地で、難民としての生活は、ゆっくり眠ることなんてできなかったはずです。
そんな状態で見た夢の言葉に従うヨセフ。聖書を読む限り、ヨセフは自分から何か言葉を発したり、主張したりすることはなく、ただただ、その夢のお告げの通り、神様の言葉に従うヨセフ。それは、言われるがまま、なされるがまま、というものではなく、自分の身に起こることを自分に引き受け、主体的にその道を選び取っていく歩みです。神様にすべてをゆだねて歩む道です。ヨセフは過酷な状況にあってもなお、自分が聞くべき言葉、信じるべきものがなんであるか、確信をもっていました。
なぜヨセフはそのような道を、神さまの言葉を選び取ったのか。それは、神様は、人間の明確な罪の過去を責めるよりも、わたしは将来の望みを創造する、失われた者が戻ってくる、慰めを拒むほどの嘆きの涙もわたしが拭う、と前を向かせてくださる方であるということを信じていたからです。もっとこうしたら違う結果になっていたかも、こんなことにはなっていないかもしれないと、原因を探したり、人を責め「お前があの時こうしていたら」と責めて言い争うのではなく、主に信頼して歩む平安がそこにあるのです。
2023年を振り返るとき、クリスマスの出来事と、まさに私たちが生きている世界と重なります。昨年までコロナが地球上の人々を脅かし、当惑していた私たちでしたが、ウィルスよりも本当に恐ろしく、積み深い人間と世界の現実として、ミャンマーの軍事クーデター、ウクライナ戦争、ガザ・パレスチナに対するイスラエル侵攻という多くの罪なき人々、女性、子どもの命を犠牲にする戦争の暗黒を目の当たりにしています。爆撃におびえ、殺されない場所を求め、過酷な地で生まれなければならなかった赤ちゃんと泊まる場所が無く、飼い葉おけに生まれられた主イエスが重なります。殺害の危機におびえている人々、難民キャンプに身を横たえているそのような状況とエジプトへと逃れるヨセフ、マリア、主イエスの姿が重なります。先日の12月25日、ベツレヘムの生誕教会からの中継がニュースで流れ、がれきや有刺鉄線で囲まれた中にマリア、ヨセフ、赤ちゃんイエスが飾られておりました。まさに、このような人間が作り出した悲惨な状況の中に、主イエスがお生まれになった、主イエスは、殺されていこうとしている神が抱きしめようとしている命と共に今もあるということが現わされていました。

ヨセフが過酷な状況で見た夢から神様の言葉をしっかりと受け止めたように、私たちもたくさんの情報がある中から、目を、耳を覆いたくなるような、気づかないふりをしたような、何もできないと諦めてしまいそうな、悲惨な世界の中から、神さまの言葉をしかりと受け止めたいと思います。そこには、ヨセフのように、悩み苦しみがあるかもしれないけれども、神様に信頼を置き、クリスマスの意味を今一度確かめながら、新しい年もあゆみを進めていきたいと思います。

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